2006年08月06日

ものつくりの能力

最近,やってる実験の毛色が変わったせいで,四苦八苦しております….

特に苦戦しているのは工作.
はんだづけとか六角レンチとかサビどめとか….
今まで「ちょっと苦手だなあ」と思ってたところで勝負しなければならず,この数ヶ月はまったく歯がたっておりませんでした.
あまりに進まない私をボスが見かねて力を貸してくれたのですが…,自分のあまりの技術のなさと無頓着さが恥ずかしくなるほど,次々と現状での問題点を指摘し,どんどん解決してゆくではないですか.自分が何もできない赤子の分際で「こんな原始的な手法,魅力を感じないんですが.」とか心の中で見下してたのが本当に恥ずかしく思いました….

それにしても,元来クラスでもトップクラスの不器用さを誇っている私(いや誇りたくないけど)としては,自分のできないことから逃げて逃げてここまで大きくなってしまったのは,人生における大失敗だよなあ….そんな甘っちょろい生き方してたせいで,何一つまともにやりとげられない人間になってしまったしなあ.そもそもできることにくらべてできないことがあまりに多すぎるもの.人生にリセットボタンがくっついてたら,間違いなくここまでくるまえにボタンを押してるものなあ….「克服する」という能力が低すぎなんだよ,自分.

しかしながら自分のことは棚にあげて不安になるのは,こういう何かの道具を自分で作ったり.直したりする技術って,明らかに次の世代へ伝えきれてないよなあ….部屋に合った棚を自分で一から作ったり,配線の不具合を修理したりという,自分で何かを作って,それを使うという経験はこの一世代の間に急激に減少してるんではないだろうか.
何でも「買う」ことが美徳とされ,さらに機械が故障しても「新しいものを買ったほうが安い」という状況に慣らされてしまったら,そういうふうにモノを自分で作り出す能力は失われるよなあ….最近は機器メーカーの業者さんもトラブルを自分で見つけ出して解決するといった能力がめっきり衰えてしまい,ただの売り子とかわらないんだよなあと嘆く声も年配からはよく聞くわけで.
こういう現状を目の当たりにして「よし,だったらオレらががんばるぞ」と燃えるどころか,「まあ,そういう仕事は発展途上国から人呼べばいいんじゃないの?」とか思っちゃうところが,いかにも亡国の没落貴族ですわな.
posted by Kammy+ at 19:42| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月06日

夢を抱いて学校へ通う人たちへ

このブログにも時折コメントをいただいているシロクマさんのところに,是非とも注目していただきたい記事があったので紹介します.

シロクマの屑籠(汎適所属)

「兵士としての教育」が隠蔽され、誰もが「将軍の夢」に酔っている異常
その点、看護学校って「兵士としての自己実現」が徹底してる
ある種の業種では、「練兵所」なんて要らない。必要なのは「弾薬工場」と「鉄砲玉」だ!

Employer(雇い主)からしてみればemployee(使用人)というのは使い勝手のよい駒であればあるほどよく,次から次へと適当な夢を持って入ってくる若者を使い捨てることが最高の費用対効果に結びつくという現実が,経済の拡大のために隠蔽されすぎていることに警鐘を鳴らしているわけだけれど,この問題は各個人の人生の質(この場合も英語のquality of lifeが相当するんだろうか)に大きく影響するものだと思うわけで.

私の身近なところの問題としては,研究者という人生についての人材養成の問題がある.96年からのいわゆる「ポスドク1万人計画」についてのさまざまな弊害については今回は省くけれども,「優秀だったらポストはあげよう.ポストにつけなかったらその一切は個人の責任.将来のことなど世話できないし,そんなこと期待されても困る.」という方針で若者から研究力を搾取し,財政難を理由に正規雇用を増やさないのではどんどん不満が積もっていくだけではないか.もっとも,そんな不満分子は排除され,新たな希望に満ちた鉄砲玉に入れ替わり問題は後回しにされるのだけれど.
「自分は研究者になれたけど,いつまで研究者でいられるかはわからないし,ましてや自分の子供には絶対勧めない職業だよ」と話す研究者をよく見かけるし,私もそう思う.日本の科学技術を支える人材を供給するシステムは1世代後には完全に崩壊してるんじゃないかとさえ思える.

やはり対策としては,学生や親の側としては国や企業や学校は自分たちに都合のいい麻酔を自分たちに打ってくるということをしっかり認識するということだろうか.教育についてはその意味合いについて考え直すべきだと思う.教育とは本来,世代をつなぐ大事なバトンの役割を果たしていたはずであるのに,最近は金銭的な対価として提供されるサービスとしての面が強調されすぎではないだろうか.これには「お金が集まるのだから,優秀な人材も集まるはずである」という貨幣価値至上主義に基づいた論理のすり替えが起こっていることが原因しているのではないかと思うけれど,そのゆがみについて個人的に不安を訴えることはあっても社会的なレベルで補正しようという動きはみられない.もちろんこのブログだってそうだし.今の世の中あまりにも流されて生きているほうがラクな状態が続いているからだろうけど,そんな平和なんて一時的なものだということは歴史が教えてくれているのに…と私は思ってしまう.(もちろんそれを「今から悩んでたってしょうがない」というのは自由だし,私だって杞憂であってほしいと思う)

教育する側だったり,人を雇う側としては,現在ニートを増殖させていると思われる「将軍か,さもなければ逃亡か」という,「全か無か」の賭けしか人生の方法を知らない若者たちに少しでもシロクマさんの言う「兵士の幸せ」を示していくかが重要になってくるだろうし,人の上に立った者としては,その権力をより強大に,強固にしたいという欲望を少しでも抑え込んで兵士の幸せを育ててやる義務があるのではないだろうか.


本来ならば,上に立つもののそういった義務は相互監視の社会と倫理観に支えられ履行されてきたのだろうけれど,最近はそんなリミッターがはずれぎみで,上に立つものの権力がどんどん増大していっているような気がしてならない.そしてそのことがさらに人々を上に立つこと,権力を持つことに固執させているのではないかと思う.ときどき,ニートを理解できないと突き放したり,非難するお偉い方々を見かけるけれども,そういう方々には今の自分がしていることをじっくり考えてもらいたいものだ.
posted by Kammy+ at 16:02| ☁| Comment(12) | TrackBack(0) | 考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月08日

授業料免除と奨学金がなかったら…

私は11歳のときに両親の離婚を経験している.
父親の借金が原因だったものの,幸いにして借金の取立てには遭わずに済んだ.
別居のための小学校の転校以来,私の教育費は常に社会によって支えられてきた.
小学校のときは給食費などの集金(転校先の学校は口座振込みへ移行しておらず,児童が集金袋に現金を入れて学校に持っていっていた)のときに持っていく金額がまわりの子よりも少ないことで実感していたし,高校でも普通の生徒ならほとんど用のない事務室に授業料免除の書類を提出するために何度も通っていた.

そのことが恥ずかしいと思ったことは一度もなかった.

母は,私にまともな大人になって少しでも世の中の役にたてるように願っていた.
母は,父に対する恨み節をひとつこぼすことがなかった.また,私も深く詮索することがはばかられたので,当時は事情を詳しくは知らないまま,当時の生活環境を自然なものとして受け入れていた.ただひたすら,母に感謝していた.

そんな家計の状況で大学に行けるかもわからなかったものの,当時の高校の担任は三者面談で大学進学の際の金銭面での心配をぶつけた我ら親子に「Kammy+君なら大丈夫でしょう.」と言ってくれた.心配していてもはじまらないので,とにかく国立大学を目指すことにした.

結果,無事親に余計な出費をさせることなく国立大学に入学したものの,国立大学の授業料すら払うこともできない状況.幸いにして某企業が社会活動の一環として行っている奨学金制度の奨学生に選ばれ,日本育英会の貸与も受けたけれど,一番の拠りどころは授業料免除だった.そして宿舎費わずか3,000円(当時)の大学の学生寮に入れたことで,人並みかむしろそれ以上と思えるほどの大学生活を送ることができた.

大学院に進めば育英会から借りられる金額も増えることから,あとは自分が働いて返すことができるだろうということで,大学を卒業するときには既に大学で行けるところまで行ってみようと決意していた.大学院に進むと母の収入も増え,授業料免除は半額免除を経て,最終的には免除がかからなくなっていた.
「社会が僕に投資してくれるなら,それに応えるまでのこと」
そんな気分だったし,今でもそれは私のポリシーだ.

だから私は奨学金で学ぶ後輩達を,強く応援したい.
そして,少しでも奨学金制度がよい形で継続されることを切に願っている.

しかしどうも今,国はよからぬ方向に動いているような気がしてならない.
不景気で授業料の払えない学生・生徒が増えても,それに見合う税金の投入をしなかったように思われる.国の借金を減らすためか,大学も,育英会も法人化してしまった.
育英会は名を変え,卒業後の特別返還免除の対象をどんどん狭めていった.研究を行う公務員か大学教員となって15年間勤めることで返還免除となる制度もちょうど私の学年までで廃止(大学学部での免除規定は全廃)し,「大学院において第一種奨学金の貸与を受けた学生であって、在学中に特に優れた業績をあげた者」が奨学生の死亡・心身の障害を除くと唯一の免除対象となってしまった(解釈に間違いがあったらご指摘ください).しかもその在学中の優れた業績とは「学問分野での顕著な成果や発明・発見のほか、専攻分野に関する文化・芸術・スポーツにおけるめざましい活躍、ボランティア等での顕著な社会貢献」が対象と,あまりに即物的すぎやしないかと感じずにはいられない.
大学も,法人化してまず始めたことは授業料未納者への退学処分の基準を明文化だったし.その代わりに創設するのは支援機構同様「何か大学にプラスになることをした人物」を対象とするような制度ばかりが目に付く.授業料免除のための国の予算が増えないために免除基準は一層厳しくなり,このままじゃ大学は「超貧乏か中流以上」しか通えないところになってしまうんじゃないだろうか.
日本は学生を育てることを放棄し,手柄を立てた者にだけ媚を売るような国になってしまったのかなあ.

せめて次の世代には少しでもよい教育環境を残せるよう,今後も努力していきたいと思う.
posted by Kammy+ at 22:05| ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月16日

vs. 理不尽

「社会人になるってことは『理不尽に怒られる』ことだからねえ」と,さるお方がご指摘なさった.
うむむ.
バイトするたびにそのことは実感しまっせ.
それで,若かりし頃からの決意を思い出した.
「理不尽に怒られるのには耐えられない.だからこそ,理屈で勝負できる(研究の)世界に身をおきたい」
小さい頃から理屈をこねることばかりだった自分の,ささやかな,社会への抵抗だったのかも….

でも結局,ひとりで生きていくためには,この理不尽に打ち克っていかなきゃならないんだなあ,と最近思うんよ.
世の中の理不尽さと自分との戦い.
でもこのごろ,僕の戦いは圧倒的に理不尽が優勢で,「耐えられないならお前が氏ね」と,理不尽におしつぶされるという状況が続いてる.
生きている心地がしない.休暇が,カタストロフィーの先延ばしにしか思えなくなってきている.
今の生活でこうなんだから,社会出たら….

みんな,強いよ.強すぎるって.
「僕はなんとかピュアなまま生きるから,倒れそうになったら護って」
他人にそんな期待をしている甘え根性まるだしの自分.
「こっちにとってオマエがピュアだろうがダーティだろうが,そんなこと知ったこっちゃねえ,こっちだって自分生かすのに精一杯なんだよ.」
との声が聞こえてきそうだよ.

ごめんね,ただのお荷物で….
posted by Kammy+ at 06:36| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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